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Author:MOJO
高校生のミナサン、コンニチハ。
高校英語教科書研究家(?)MOJOで~す。
南の島Pから発信中で~す。

思い返せば16年前。この島から帰国後ちょうど1週間で、島は津波に襲われ、ICをのんびり楽しんでたプールサイドに出没していたイグアナ君たちはどうなったんでしょうか? ビーサン片手にうろついた浜辺はど~なったんでしょうか? 行って見なきゃいっけませんなぁ~ この大地震の後、社会貢献に目覚め、いろんなことをやり始めましたが、ついにその原点に立ち返ることができましたぁ~!!

これからもみなさんのお力になれればと思っていま~す。至らない点はお互い補い合って、楽しく勉強が進められる環境を、これからもご提供できればと思っていま~す。

志の低い、品性を失った下記の3つの満開パクリサイト

「和訳の倉庫」
「ブックマーク○○!! 高校英語教科書完全和訳サイト」
「高校英語教科書和訳」

の完全殲滅を果たせていないまま、ニッポンを後にするのはチョッピリ心残りですが、これからも過去にこだわらないで、小さくまとまるのを拒み、明るい明日を見つめて、ガーニーD近くのバルコから発信する情報が、愛と夢と勇気と希望を持って暮らしているニッポンのコーコーセーのみなさんのお役に立てればいいなぁ~と思っていま~す。

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「生産性の低い英語学習=辞書引き」を抜け出し、真剣に英語に向き合う、本当に力のつく英語学習をスタートするためのお助けサイトです。

学校の先生がお勧めする、30年前に先生たちが実践した、古い英語学習方法は、今の時代には通用しません。体育会系の運動部の顧問の先生が大切にしている、効率の悪い、科学を無視した、精神論的練習方法と同じです。

この1年で英語をある程度ものにするには、学校の授業をフルに活用するしかありません。教科書の予習をするときに、辞書を引く時間を惜しんで、英語を読むことです。声を出し英語を読み、本気になって内容を読み取ろうとすることです。

この練習をお助けするのが当サイトの役目です。シッカリと科学的な英語学習を続けていってください。



Lesson 4


Brazil ―― Far away or Close?
ブラジル――遠く離れてるの、それとも、近いの?


Section 1


ブラジルについて考えるとき、みなさんはどのようなイメージを持っていますか? ワクワクさせるリオデジャネイロのカーニバルを想像するかもしれません。あるいは、ブラジルの選手がとても上手にサッカーをするのを思い描くかもしれません。


ブラジルは日本から遠く離れています。南アメリカに位置していて、日本からは17,000km以上離れています。ブラジルに飛行機で行くのに24時間以上かかります。


しかし、ブラジルは日本に「近い」国です。それは、日本がブラジルへの移住の長い歴史を持っているからです。今では、ブラジルは一番多くの日系移民と子孫たちが住む場所になっています。100万人以上の日系ブラジル人の方たちがブラジルに住んでいます。最近では、そうした日系ブラジル人の中には、日本に来て働いたり、勉強したりしている人もいます。



Section 2


ブラジルは人口と面積共に世界で5番目に大きな国です。ブラジルに旅行すると、ブラジルではポルトガル語が話されているのを耳にすることでしょう。ブラジルにはポルトガル語を話す人が世界で一番たくさんいます。この事実はブラジルの歴史と関係があります。


西暦1500年頃まで、ブラジルには先住民しか住んでいなかったと考えられています。それからポルトガル人の探検家がブラジルにやって来て、ブラジルを植民地にしました。したがって、ポルトガル語が公用語になりました。


ブラジルにはアフリカ系ブラジル人の方たちもたくさんいます。アフリカ系ブラジル人の祖先は、18世紀に奴隷としてブラジルに連れて来られました。アフリカ系ブラジル人の祖先のうちの多くの人が、コーヒーの生産に従事しました。こうした民族的・文化的な多様性がブラジルを今日の姿にしているのです。



Section 3


日系ブラジル人もまた,さまざまな民族集団の中で大切な役割を果たしています。最初の日系移民は1908年にブラジルに渡りました。日系移民はとても勤勉でした。ジャガイモやトマトといった、たくさんの種類の農産物を作るために、一生懸命働きました。(こうした初期の)日系移民の努力のおかげで、日系移民はブラジルの社会に受け入れてもらえたのです。日本人が持ち込んだ野菜の中には今、ブラジルで人気になっている野菜もあります。


日系移民はよい教育に熱心なことでも有名です(→日系移民は熱心に高等教育に取り組むことでも有名です)。数年前、サンパウロ大学は一番良い成績をとった最優秀学生87人を表彰しました。そのうちの17人が日系ブラジル人でした。


100年以上もの間,日系ブラジル人はブラジルの発展に大いに貢献してきています。



Section 4


ブラジルの経済は今、急速に成長しています。しかし、ブラジルは他の国と同じように問題を抱えています。例えば、環境、先住民の権利、貧富の格差に関する問題です。


しかし,ブラジルの人の人生観には、優れたユーモアの感覚のようないい点がたくさんあります。こうしたいい点は、ブラジルの人が困難を乗り越えるのに役立っています。「今日の不運は明日の笑い話」ということわざは、ブラジルの人たちの前向きな考え方を表しています。このことわざはブラジルの人の生活が笑いに満ちていることを示しています。


そうです、ブラジルの方たちはものの明るい面を見ます。こうした考え方のおかげで、ブラジルの人たちはよりよい未来を自分たちで作る力を持てるのです。

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Lesson 7 


The Last Lecture: Messages from Randy Pausch
最後の講義――ランディ・パウシュからのメッセージ



Part 1

Learn the Fundamentals
基本を学ぶこと


私はフットボールが大好きです。9歳のときに、フットボールを始めました。フットボールのおかげで、今の私になることができました(→今の私があるのは、フットボールのおかげです)。私のフットボールとの恋は、チームに入るために(練習場に)父が私を引っ張って行ったときに、始まりました。私には、そこにいたいという気持ちはまったくありませんでした(→そのときはフットボールなんてちっともやりたくはありませんでした)。私はダントツで一番小さくて、生まれつきの臆病者でした。ジム・グラハムコーチに会ったとき、不安は畏れに変わりました。最初の練習の日に、僕たちはみんな死ぬほど怖がっていました。その上、コーチはフットボールのボールを1個も持ってきていませんでした。1人の子がついに、みんなを代表して思い切ってこう言いました。 「すみません、コーチ。ボールが1つもありません」 すると、グラハムコーチは答えました。 「ボールなんていらない」 沈黙がありました。その間、僕たちはコーチがたった今言ったことを考えていました。 「一度に何人がフットボールの競技場にいるんだ?」とコーチは僕たちに聞きました。 「1チーム、11人です。ですから、全部で22人です」と僕たちは答えました。 「じゃあ、どんな瞬間でも、ボールに触っているのは何人だ?」 「22人のうちの1人(だけ)です」 「そのとおりだ!」とコーチは言いました。 「だから、(これから)その残りの21人がしていることを練習するんだ」 それはグラハムコーチが私たちに贈ってくれた素晴らしい贈り物でした。基本を学ぶことがどんなに大切なのかをコーチは私たちに教えてくれました。大学の教授として私は、基本を無視し、自分自身を不利な立場に置く学生がとてもたくさんいるのを見てきています。



Part 2

Be the First Penguin
最初のペンギンになろう


私の講義のひとつで、困難なことを試みるようにと、失敗するのを心配しないようにと、私は学生たちを励ましました。こうした考え方,行動の仕方に報いたいと思いました。ですから、毎学期の終わりに(→学期が終わる毎に)、学生たちのチームのひとつにペンギンのぬいぐるみを贈っていたものでした。「最初のペンギン賞」です。天敵がいるかもしれない水に最初に飛び込むペンギンは、死の危険を冒す勇気を持っています。最初のペンギン賞は、新しいアイディアや技術を試すことに一番大きな賭けをしたけど、目標が達成できなかったチームが受賞するのでした。本質的には、最初のペンギン賞は「輝かしい失敗」に対する賞だったのです。この賞は自由で創造的な考え方と想像力を大胆に使うことをほめたたえました。「最初のペンギン賞」の受賞者たちは、確かにどこかに向かおうとしていた(→何かに向かって突っ走っていた)敗者たちでした。新規立ち上げの会社は、その人の経歴に失敗した経験を持っている最高経営責任者を雇うのを好むことが結構よくあります。こうした人物は、未来の失敗を避ける方法を知っていることがよくあります。成功しか知らない人は、たくさんの隠れた危険を見落とす可能性があるものです。



Part 3

Have a Heart
優しい心を持つこと


私が12歳で、姉が14歳のとき、家族でフロリダのディズニー・ワールドに行きました。両親は僕たちが2人だけでディズニー・ワールドを歩き回るのにちょうど十分な年齢だと考えて、僕たちを自由にさせてくれました。僕たちは両親にありがたいと思って、プレゼントをあげて2人に感謝することにしました。僕たちはあるお店に入って、ピッタリのプレゼントだと2人が思ったものを見つけました。陶器製の塩とこしょうの入れ物でした。僕たちはこのプレゼントに10ドルを払って、店の外に歩いて出て、メインストリートをスキップして行きました。僕がプレゼントを持っていたのですが、突然、僕の手から滑り落ち、割れてしまいました。姉と私は2人とも泣いていました。ディズニー・ワールドに来ていた1人の大人のお客さんが、今起こったことを見ていて、僕たちのところへやってきました。「(買った)お店に持っていってみなさい。きっと、(お店の人は)新しいのをくれるわよ」と、その人は勧めてくれました。僕はこう言いました。 「そんなことできないよ。僕のせいなんだから。僕が落っことしちゃったんだから」 「とにかくやってごらんなさい。どうなるかわからないでしょう」と、その大人の人は言いました。そんなわけで、僕たちは(プレゼントを買った)お店に戻りました。僕たちは、ウソをつきませんでした(→包み隠さずホントのことを言いました)。起こったことをやっとの思いで説明しました。お店の従業員たちは僕たちの悲しい話を聞いて、僕たちにニッコリほほ笑みかけて、こう言いました。 「新しい塩こしょうの入れ物をご用意いたします」と。私たちがどんなに嬉しかったか、みなさんには想像もつかないでしょう。その日以来、私たち(=姉と私)と両親は、自分たち自身や大学の学生たちや外国からのお客さんのための入場券、食べ物、お土産に合計10万ドルもディズニー・ワールドで使っています。私からのメッセージはこうです――利益と損失を測る方法は2つ以上あります(→ひとつだけではありません)。あらゆるレベルで、組織は優しい心を持つことができますし、持つべきなのです。



Part 4

Achieve Childhood Dreams
子供の頃の夢を実現すること


夢を追いかけるのは大切なことだと、私はいつも思ってきています。子供の頃,私には(いくつかの)夢がありました。夢を決してあきらめませんでした。後になって、子供の頃の夢のうちのほとんどが実現しました。障害に出会ったときにはいつでも、次のようなことを心の中で言いました。「レンガの壁は理由があってそこにあるんだ。壁は自分がどれだけ強く(物事を)求めているかを私に証明させてくれるんだし、自分がどれだけ献身的なのかを私に示すチャンスを与えてくれているんだ」



Part 5

An Eternal Message from Randy Pausch
ランディ・パウシュからの永遠のメッセージ


最後の講義の1か月前、ランディ・パウシュは末期がんと診断されました。わずか数か月しか生きられないと告げられました。最後の講義を行うことにしたのは、奥さんと2人の幼い男の子と赤ん坊の女の子の(4人の)家族と、人生の中で家族以外の大切な人たちに永遠のメッセージを残すためでした。ランディの最後の講義は、どのようにして夢を実現するのかという方法についてだけではなく、人生をどのように生きるべきなのかということについての話でもありました。あらゆるチャンスを捕まえて、障害を乗り越えることの大切さを、最後の講義は私たちに教えてくれています。講義でのランディの最後の言葉は、「みなさんがご自分の人生を正しく生きれば、みなさんの夢は実現することでしょう」というものでした。ランディはもうこの世にはいません。しかし、私たちの心の中にランディは生きているのです。

緊急アップ。PRO-VISION 2 の READING 2 を一気にお届けします。語句欄はつけていませんので、英文と日本語訳をよく読み込んで語句の意味を推理してください。英語学習効率化委員会推奨。最強・最良時短予習お助けサイト。



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Humming Through My Fingers
指を駆け抜けるハミング






「アンバー。カイルだよ」 声だけでわかった。カイル・ベネット ―― マシュー兄さんのクラスの転校生のカイルは他の友達何人かと1・2度ウチに来たことがあった。でも、実際にカイルがあたしに何か話しかけてきたのはこれが初めて。

「座っていい?」
「わかんない。座ったっていいの?」 あたしは冗談で返した。

「僕……その……つまり、隣に座っていいかな?」
「ご自由にどうぞ」 指をページの上で素早く軽く走らせ、本を読み続けた。

「何、読んでんの?」
「『レベッカ』 大好きな本なの」

そのとき、あたしの指がカイルの指に思いがけず触れ、稲妻のような電気ショックが指から腕まで走った。

「痛っ!」 カイルは叫んだ。

カイルの指に触れたところがまだジンジン音を立てているまま、手をどかした。「大丈夫?」

「うん、チョット、ショックがあっただけだよ。なぜビリってきたのかわかんないよ」 あたしが何にも言わないもんだから、カイルは続けた。「ゴメンネ。ただ、点字ってどんなか見たかっただけなんだよ。点字ってどうなってんの?」

ため息がでてきた。また、説明すんの? 説明したって、バツの悪いダンマリがきて、それから、優し気な同情が続くだけなんだから。

「ひとカタマリの点がね、1つの文字とか数字を表してるの。ページの単語をね、目じゃなくって、指を使って読むの。それだけのこと」と、説明した。

「やってみていい?」
「どうぞ」

今度はあたしの指に触れないように注意して、カイルはあたしから本をとった。

「これが全部読めるようになるには、何年かかかるんだろうなぁ」 カイルは感心したようにヒューと口を鳴らした。「どのくらい時間かかった?」

「かなりよ、何か月もね」と、答えながら、あたしは驚いてた。哀れみも同情もまるっきりなくって、ただ、2人が話している。

「生まれつき目が見えないの?」

またまた驚いてる。家族以外の誰も、あたしの目のことには触れたことがなかった。触れちゃいけない話題だった。

「違うわ。糖尿病なの。そのせいで目が見えなくなっちゃった。運の悪いことよね」 無理してやっと話した。

「目が見えなくなって一番見てみたいものは何?」

「みんなの顔 ―― それに、色かな」 カイルが次に何か言おうと探してるように聞こえたから、2人とも黙ってた。

「でも、兄さんがね、君は目じゃなくって他の感覚でものを見るって言ってたよ」

あたしは答えなかった。ゆっくりと本を閉じて、待った。

「マシューが言うには、君は形に味を感じたり、色が聞こえたりできるって」

形に味があったり、色が聞こえたりって……あたしにだって、ヘンに聞こえちゃう。

「共感覚っていうの。100万人に10人くらいの割合で共感覚がある人がいるの」

「共感覚ってどんな感じ?」 

「目を使って見るってどんな感じ?」 逆に聞きました。

「う~んとぉ、えっ~とぉ……チョット説明しにくいなあ」

話題を変えたい気分だった。そのとき、カイルがこう言い出した。「ねえ、その~……うんとさぁ……競技が全部終わってから、ハンバーガー食べに行くんだけど、僕と一緒にって、無理だよね?」

カイルとあたしは、しばらく黙ってた。

「いいわよ」と、あたしはついに言った。

「ホント! やった!」と言う、ホッとした感じのカイルの声を聞いて、いつもなら笑ってたとこが、でも、その時だけは、笑う気にはならなかった。どうして「いいわよ」なんて言ったのか、わからなかったから。






「友達のところ戻って、残りの競技、見るの?」
「ううん。もしよかったら、ここにいたいんだけど?」

「オッケーよ。散歩に行きましょ」
「散歩?」

「学校の敷地の周りよ。他の人からは離れて」
「散歩って、歩けるの?」

「歩けるわよ。知ってるでしょ。利かないのは足じゃなくって目よ」と、あたしは笑って言った。

「うん、もちろん。悪かったよ」 カイルが立ち上がるのが聞こえた。カイルが手を差し出したのを無視して、1人で立ち上がった。

「小川に沿って下って行って、それから、遠くにある橋を渡って、テニスコートの周りを歩きましょ」と、提案した。
「いいねぇ」

カイルとあたしは歩き始めた。カイルは両手をポケットに突っこんでた。

「カイル、ネクタイしてる?」
「何でだい?」

「ネクタイをとって、目に回して」
「えっ、もう1度言ってくれる?」

笑いながら、こう言った。「1回でチャンとわかったはずよ」
「何でそんなことをして欲しいの?」

「敷地の周りを連れてってあげるの」
「僕が目隠ししたままってこと?」

カイルのパニクリ声っておかしくって笑った。「そうよ。あたしを信用しなきゃいけないの」

「でもさ、アンバー……君も目が見えないんだよ」
「目隠しするの? それとも、怖くってできないの?」

ゆっくりと、カイルは首の周りからネクタイをはずして、目の周りに結びつけた。

「本当に目隠ししてるかどうか調べるから、顔、触らせて」

カイルが前かがみになるのが聞こえた。カイルの顔に軽く指を走らせた。カイルの肌に触れると、指がまたジンジン音を立て始めた。大きな額、立派な鼻、引き締まったあごをしてて、唇は柔らかかった。目は何とも言えい。ネクタイで目隠しされてたから。目が本当に隠されてるって納得して、カイルと腕を組んだ。カイルの体が本能的に固くなった。

「心配いらないの。2人がこんなところにいるの、友達には見えっこないよ」

「そんなんじゃないよ。でも、小川か何かに落ちちゃわないのかなって?」
「落ちちゃったら、濡れちゃうでしょうね!」

チョット間があって、それから、カイルが笑った。体の緊張が解けて、「じゃあ、いいよ。どこに行のかわかってるんだろ?」と、言った。

「この学校のことなら全部わかってるの。心配いらない」と、あたしはカイルに保証して、周りを見まわし、記憶をたどった。2人の周りは全部、何エーカーも学校の敷地だし、緩やかに流れる小川で分かれてるだけだった。あたしは、冬でも草がどれくらい緑なのか、春や初夏にはいつもヒナギクでどんなふうに覆われているのか覚えてた。






カイルと腕を組んだまま、小川に沿って下って行って、体の向きを左に変えて、何歩か歩いた。

「さあ、こっからはあたしが言う通りにするのよ」と、言って、緩やかな斜面を下った。

「ここで小川を渡るのかい?」と、驚いて尋ねた。

「そうよ。跳んで渡るのよ」と、笑顔を見せた。

「でも……どこで跳べばいいかなんてわかんないし」と、カイルは反対した。

「それなら、他の感覚を使うの。手伝ってあげる。ここなら向こう側まで50cmもないわ。ジャンプして、体重を前にかけて、木の根っこでもつかめば、それでいいの。それから、あたしもすぐ後で跳ぶんだから、じゃまにならない所に上がっといてよね。いい?」

「これって、ホントにいい考えだって、思う?」
「あたしの言うこと信用してればいいの」

「わかったよ」と、カイルは不安な様子で言った。

カイルを真っ直ぐに立たせた。「心配ないの。そう信じてた方がいいの! じゃあ、いくわよ。3つ数えてからよ。1つ、2つ」

「3つ!」 カイルが叫んだ。
そして、跳んだ。

正直言って、感心した。カイルにこんな力があるって思ってなかった。「ウーッ!」って声がして、木の根っこを手さぐりして、見つけて、両手で急いでつかもうとする音がした。カイルは岸の上まで体を引っ張り上げた。

「行くわよ」と、叫んで、跳んだ。

ある意味、カイルがあたしが跳ぶのが見せられなくって、残念だった。目が見える人だって、あたしより上手に跳べるわけなかったんだから。

「大丈夫?」
「何とかね」

カイルの声がする方を向いて、「跳ぶのってどんな感じがした?」

「実は……チョット、ビビってた。「水の深さが数cmしかないってわかってんだけど、急に、何kmもあるように感じちゃった」と、カイルは認めた。

「それから、向こう側に着いたとき、どんな感じだった?」
「ホッとしたよ!」

「他に何かないの?」
「そうだなぁ。何だか誇らしかったよ」

あたしはこう切り出した。「目が見えないってことは、深さ何kmもの水が下にある崖から跳ぶのと同じなの ―― ジャンプしてみなきゃ、崖の向こう側に何があるのか、絶対にわかんないの。すべてが冒険よ。何に出くわすのか、何を見つけるのか、楽しいことがあるのか、ガッカリすることがあるのか、ケガをすることになるのか、うれしくなるのか、わかりっこないの。言ってることわかる?」

「何とかね」 カイルがホントにわかってるようには聞こなかった。でも、まだ始まったばかりで、仕方がなかった。






「じゃあ、次に移るわよ」

テニスコートの方へ案内した。そのとき、探していたものの匂いがした。 香りは圧倒的だった。

「ひざをついて」と、カイルの手をとりながら、言って、匂いに触れるように、香りのもとへ手を置いた。

「人さし指と親指だけ使って、触ってみるの」と、言った。

「何? チョットだけビロードのようなんだけど、でもさ、ビロードなんてテニスコートの周りにはないもんね」と、カイルは言った。

あたしは手を伸ばし、そのものに触った。「真っ黄色のビロードよ」

「なんで何色かわかるんだい?」

「黄色はとっても高い声なの。この黄色はチョットだけ低い声なのね。ってことは、色調が強いってこと。でも、どう見たって黄色よ」

「これが何なのかもわかるの?」と、カイルは尋ねた。

「ええ」 でも、突然、もうこれ以上こんなことしたくなくなっちゃった。悲しかった。「もう、ネクタイとっていいよ。何触ってるのか見ていいよ」

カイルはすぐにネクタイをとって、驚いて息を継いだ。「何だ……花だよ……」ショックを受けて、言った。

「きれいでしょ?」
「黄色い花」と、カイルはささやいた。

カイルにこう言った。「見ようとして見えてくるものよりも、自然と見えてくるものの方が多いのよ(→目で見なくったって感じとれることはたくさんあるわ)、カイル。カイルは目が見えるわ。でも、目が見えるってことがどんなに素晴らしいことなのか絶対に忘れないでね。あたしには光が味わえるし、色も感じられるから、感謝してるの。でも、目が見えるって……」

「花だったんだ……」 カイルの声は神妙だった。カイルにあたしの声が届いてたのかどうかさえ怪しかった。

「カイル、あたしはね、あなたにはできっこないし、しようとも思わないような方法でものを見てるの。だって、カイルにはそんな必要ないんだもん。目が見えなくっても、まだ身の周りのものの素晴らしさがわかるから、この方法に感謝してるの。目が見える人っていっぱいいるけど、そんな人よりずっとたくさんのものが見えてるのかもしんない」

カイルがあたしを見てるのを感じた。マジ見てくれてる ―― 初めてのこと。あたしはニッコリ微笑んだ。

「オレ……僕、君に言わなくっちゃいけないことがあるんだ」と、カイルは落ち着かない様子で切り出した。

「いいのよ」
「いや、大切なことなんだ。僕……」

「ハンバーガーを一緒に食べに行くのをあたしが断る方に、お友達は賭けてるんでしょ。あたしが前にお友達の誘いを断ったから、あなたにもチャンスなんてないと思ったんでしょ」

黙ったまま。

「どうしてわかったの?」
「あなたたちの話が聞こえたの」

「だって、僕たち、ほぼ校庭の向こう側にいたんだよ」
「風がね、コッチの方に吹いてたの」

カイルが何にも言わないから、「大丈夫?」と、あたしは言った。

カイルが答える前に、長い間があいた。

「ゴメン、アンバー。もう僕のこと嫌いになってるよね」
「なんで、嫌いにならなきゃいけないの?」

そのとき、カイルはあたしを見た。あたしのことをわかってくれる人の目で、見てくれた ―― あたしにはハッキリわかった。目の見えない女の子としてじゃなく。憐れむべき人を見るようにじゃなく。自分より劣ってる人を見る目じゃなく、あたしを見てくれた。目を使わなくったってものを見ることのできる一人の女の子として見てくれた。

周りを見回して、それから、あたしを真っ直ぐに見て、こう言った。「あのね。今まで気づいてなかったんだけど、僕の周りにあるもの全部が……」

そのとき、恥ずかしそうにして、黙った。あたしは思わず笑い出した。「もう、みんなのとこ行こ」と、あたしは言った。

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Optional Lesson 3


The Nobel Prize Speech Given by Aung San Suu Kyi


We are fortunate to be living in an age when social welfare and humanitarian assistance are recognized not only as desirable but necessary. I am fortunate to be living in an age when the fate of prisoners of conscience anywhere has become the concern of peoples everywhere, an age when democracy and human rights are widely, even if not universally, accepted as the birthright of all. How often during my years under house arrest have I drawn strength from my favourite passages in the preamble to the Universal Declaration of Human Rights:

……. disregard and contempt for human rights have resulted in barbarous acts which have outraged the conscience of mankind, and the advent of a world in which human beings shall enjoy freedom of speech and belief and freedom from fear and want has been proclaimed as the highest aspirations of the common people,
…… it is essential, if man is not to be compelled to have recourse, as a last resort, to rebellion against tyranny and oppression, that human rights should be protected by the rule of law . . .

If I am asked why I am fighting for human rights in Burma the above passages will provide the answer. If I am asked why I am fighting for democracy in Burma, it is because I believe that democratic institutions and practices are necessary for the guarantee of human rights.

Over the past year there have been signs that the endeavours of those who believe in democracy and human rights are beginning to bear fruit in Burma. There have been changes in a positive direction; steps towards democratization have been taken. If I advocate cautious optimism it is not because I do not have faith in the future but because I do not want to encourage blind faith. Without faith in the future, without the conviction that democratic values and fundamental human rights are not only necessary but possible for our society, our movement could not have been sustained throughout the destroying years. Some of our warriors fell at their post, some deserted us, but a dedicated core remained strong and committed. At times when I think of the years that have passed, I am amazed that so many remained staunch under the most trying circumstances. Their faith in our cause is not blind; it is based on a clear-eyed assessment of their own powers of endurance and a profound respect for the aspirations of our people.

It is because of recent changes in my country that I am with you today; and these changes have come about because of you and other lovers of freedom and justice who contributed towards a global awareness of our situation. Before continuing to speak of my country, may I speak out for our prisoners of conscience. There still remain such prisoners in Burma. It is to be feared that because the best known detainees have been released, the remainder, the unknown ones, will be forgotten. I am standing here because I was once a prisoner of conscience. As you look at me and listen to me, please remember the often repeated truth that one prisoner of conscience is one too many. Those who have not yet been freed, those who have not yet been given access to the benefits of justice in my country number much more than one. Please remember them and do whatever is possible to effect their earliest, unconditional release.

Burma is a country of many ethnic nationalities and faith in its future can be founded only on a true spirit of union. Since we achieved independence in 1948, there never has been a time when we could claim the whole country was at peace. We have not been able to develop the trust and understanding necessary to remove causes of conflict. Hopes were raised by ceasefires that were maintained from the early 1990s until 2010 when these broke down over the course of a few months. One unconsidered move can be enough to remove long-standing ceasefires. In recent months, negotiations between the government and ethnic nationality forces have been making progress. We hope that ceasefire agreements will lead to political settlements founded on the aspirations of the peoples, and the spirit of union.

My party, the National League for Democracy, and I stand ready and willing to play any role in the process of national reconciliation. The reform measures that were put into motion by President U Thein Sein’s government can be sustained only with the intelligent cooperation of all internal forces: the military, our ethnic nationalities, political parties, the media, civil society organizations, the business community and, most important of all, the general public. We can say that reform is effective only if the lives of the people are improved and in this regard, the international community has a vital role to play. Development and humanitarian aid, bi-lateral agreements and investments should be coordinated and calibrated to ensure that these will promote social, political and economic growth that is balanced and sustainable. The potential of our country is enormous. This should be nurtured and developed to create not just a more prosperous but also a more harmonious, democratic society where our people can live in peace, security and freedom.

The peace of our world is indivisible. As long as negative forces are getting the better of positive forces anywhere, we are all at risk. It may be questioned whether all negative forces could ever be removed. The simple answer is: “No!” It is in human nature to contain both the positive and the negative. However, it is also within human capability to work to reinforce the positive and to minimize or neutralize the negative. Absolute peace in our world is an unattainable goal. But it is one towards which we must continue to journey, our eyes fixed on it as a traveller in a desert fixes his eyes on the one guiding star that will lead him to salvation. Even if we do not achieve perfect peace on earth, because perfect peace is not of this earth, common endeavours to gain peace will unite individuals and nations in trust and friendship and help to make our human community safer and kinder.

I used the word ‘kinder’ after careful deliberation; I might say the careful deliberation of many years. Of the sweets of adversity, and let me say that these are not numerous, I have found the sweetest, the most precious of all, is the lesson I learnt on the value of kindness. Every kindness I received, small or big, convinced me that there could never be enough of it in our world. To be kind is to respond with sensitivity and human warmth to the hopes and needs of others. Even the briefest touch of kindness can lighten a heavy heart. Kindness can change the lives of people. Norway has shown exemplary kindness in providing a home for the displaced of the earth, offering sanctuary to those who have been cut loose from the moorings of security and freedom in their native lands.

There are refugees in all parts of the world. When I was at the Maela refugee camp in Thailand recently, I met dedicated people who were striving daily to make the lives of the inmates as free from hardship as possible. They spoke of their concern over ‘donor fatigue,’ which could also translate as ‘compassion fatigue.’ ‘Donor fatigue’ expresses itself precisely in the reduction of funding. ‘Compassion fatigue’ expresses itself less obviously in the reduction of concern. One is the consequence of the other. Can we afford to indulge in compassion fatigue? Is the cost of meeting the needs of refugees greater than the cost that would be consequent on turning an indifferent, if not a blind, eye on their suffering? I appeal to donors the world over to fulfill the needs of these people who are in search ― often it must seem to them a vain search ― of refuge.

At Maela, I had valuable discussions with Thai officials responsible for the administration of Tak province where this and several other camps are situated. They acquainted me with some of the more serious problems related to refugee camps: violation of forestry laws, illegal drug use, home brewed spirits, the problems of controlling malaria, tuberculosis, dengue fever and cholera. The concerns of the administration are as legitimate as the concerns of the refugees. Host countries also deserve consideration and practical help in coping with the difficulties related to their responsibilities.

Ultimately our aim should be to create a world free from the displaced, the homeless and the hopeless, a world of which each and every corner is a true sanctuary where the inhabitants will have the freedom and the capacity to live in peace. Every thought, every word, and every action that adds to the positive and the wholesome is a contribution to peace. Each and every one of us is capable of making such a contribution. Let us join hands to try to create a peaceful world where we can sleep in security and wake in happiness.



* * * * *



アウン・サン・スー・チーさんのノーベル賞受賞スピーチ



社会福祉と人道支援は望ましいものだと認められているだけではなく、必要なものだと理解されてもいる時代に生きていて、私たちは幸運です。どこにいても政治犯の運命があらゆる場所の国民の関心事になりつつある時代、民主主義と人権がすべての人が生まれながらに持っている権利として、普遍的にではないにしても、広く認められている時代に生きていて、私は幸運です。自宅軟禁中の年月の間、何度、私は世界人権宣言の前文にある大好きな一節から、力をいただいたことでしょう。(次はその一節です)


…前略…人権を無視し、侮る行為は、人類の良心を激怒させている野蛮な行為に終わっています。人間が言論・信教の自由を享受し、恐れと貧困から解き放たれることを享受できる世界が到来することは一般の人たちの最も強い希望であると宣言されています……

…中略…人間が、最後の手段として、専制政治と抑圧に対する反抗に訴えることを強要されたくないと思うならば、法の支配によって人権が保護されなければならないことは必要不可欠です……


(訳者注:この2つの段落は世界人権宣言の前文からの引用です。一般的には次のような和訳が当てられているようです。

――「人権の無視及び軽侮が、人類の良心を踏みにじった野蛮行為をもたらし、言論及び信仰の自由が受けられ、恐怖及び欠乏のない世界の到来が、一般の人々の最高の願望として宣言されたので、
 人間が専制と圧迫とに対する最後の手段として反逆に訴えることがないようにするためには、法の支配によって人権保護することが肝要であるので、」)


私がなぜビルマで人権のために闘っているか尋ねられるなら、上記の一節がその質問に対する答えになることでしょう。 なぜビルマで民主主義のために闘っているか尋ねられるなら、民主的な制度を持ち、民主的な手続きを実行することが人権を保障するためには必要不可欠だ、と私は信じているからです。


ここ1年間で、民主主義と人権(の価値)を信じている人たちの努力がビルマで実を結びつつあることを示す徴候があります。いい方向に向かう変化が見えてきています。民主化に向けて踏み出しているのです。私が慎重な楽観論を唱えるとすれば、将来を信頼していないからではなく、盲目的な信頼を促したくないからです。将来を信じていなければ、そして、民主主義の価値と基本的人権が私たちの社会に必要であるだけではなく、実現可能でもあるという確信を持っていなければ、私たちの運動は、破壊的な年月を通して継続されることはできなかったことでしょう。私たちの闘士の中にも、地位を得て堕落した人もいましたし、私たちから離れて行った人もいました。しかし、身を尽くしてくれた中核となった人たちは強く、献身的なままでいてくれました。時々、過ぎ去った歳月について考えるときに、とても多くの人たちが一番つらい状況の下でも忠実なままだったことに私は驚いています。私たちの目標に対するこうした人たちの信頼は、盲目的ではありません。支持者のみなさんの信頼は、自らの持久力を現実的に判断し、ビルマ国民の強く希望することを深く尊敬することに基づいています。

 
私が今日、みなさんとともにいられるのは、私の国で最近、起きた変化のおかげに他なりません。ビルマの状況を世界に広めるのに貢献していただいた、(ここにいらっしゃる)みなさんと、(ここにはいらっしゃいませんが)自由と正義を愛する(他の)方々のおかげで、こうした変化は起こりました。私の国についての話しを続ける前に、わが国の政治犯のために意見を述べてもよろしいでしょうか? ビルマにはまだ政治犯が存在し(投獄されたままになっ)ています。一番有名な政治犯が何人か解放されてきていますから、残されている無名の政治犯たちが忘れられてしまう恐れがあります。かつて政治犯でしたから、私は今ここに立っています。みなさんが私を見て、私の話をお聞きになるときには、1人の政治犯は1つ多すぎるという何度も繰り返された事実を忘れないでください(→1人の政治犯の例だけで全体を類推・判断して間違ってしまうという何度も繰り返された事実を忘れないでください→→1人の政治犯が注目されすぎて、他のたくさんの政治犯たちが忘れ去られてしまうという何度も繰り返された事実を忘れないでください)。まだ解放されていない人たち、私の国ビルマで正義の恩恵にまだ浴してはいない方々は数多くいらっしゃいます。こうした方たちを忘れないでください。こうした人たちの一番早い、無条件の釈放を達成するためにできることは何でもしてください。


ビルマはたくさんの民族からなる国です。ビルマの将来に対する信頼は、真の団結精神だけに基づいている可能性があります(→団結するんだという強い気持ちがあって初めて得られるものです)。1948年に独立を成し遂げてからずっと、国内のすべての地域が平和であると主張できたときは一度もありません。対立の原因を取り除くために必要な信頼と理解を育むことができていません。望みは、1990年代初期から2010年まで維持された停戦によって育まれました。2010年に停戦は数か月にわたって決裂しました。1つの軽率な行動は、長く続いた停戦を終わらせるのに十分な可能性があります。ここ数か月で、政府と少数民族勢力(→反政府勢力)の間の交渉が進展してきています。停戦合意が民族の強い希望と団結の精神に基づいて作られる政治的解決につながることを願っています。


わが党・国民民主連盟と私は、民族和解に向けての過程でどんな役割でも担う準備ができていますし、その労をいといません。ウー・テイン・セイン大統領の政府によって実行に移されている改革(策)は、国内のすべての勢力の聡明な協力によってのみ支えられることができます。国内の諸勢力というのは、軍部、民族、政党、メディア、民間の社会組織、経済界、それにとりわけ一番大切なのですが、一般市民のことです。国民の暮らしが向上して初めて、改革の効果が上がっていると言うことができます。この点で、国際社会には果たすべきとても大切な役割があると言うことができます。社会的な成長、政治的な成長、経済的な成長――バランスがとれていて、持続可能なこの3つの成長をおし進めることを確実にするために、発展と人道援助が、相互協定と投資が調整されなければなりません。私たちの国の可能性には、ものすごいものがあります。さらなる繁栄を生み出すためだけではなく、国民が平和で、安全に、自由に暮らせる、もっと調和のとれた、民主的な社会を生み出すためにも、こうした可能性を育み、伸ばしていくべきです。


世界の平和は、分割できません(→世界の平和は一部だけを他と切り離すことはできません)。どんな場所であっても悪い勢力が良い勢力を打ち負かしている限り、私たちみんなが危険にさらされることになります。すべての悪い勢力を取り除くことは、一体可能なのかどうかと疑問に思われるかもしれません。簡単に答えると「できません」になります。人間の本性には良い面と悪い面が両方とも含まれています。しかし、良い面を補強し、悪い面を一番小さくするか、あるいは、なくすために活動することも人間の能力でできることです。世界の完全な平和は、到達不可能な目標です。しかし、全世界の完全平和は私たちが目指すべきゴールとして旅し続けなければならないものです。砂漠を旅する人が自分を救いへと導いてくれる道案内をしてくれる1つの星に自分の目を向け続けるのと同じように、私たちはこの目標から目をそらしてはいけません。完全な平和はこの世のものではありませんから、地球上に完全な平和は訪れないでしょう。たとえそうだとしても、平和を手に入れようとする共通の努力は(→平和を達成するためにみんなが果たすべき努力は)、信頼と友好で個人や国家を結びつけてくれるでしょうし、人間社会をもっと安全で、より思いやりのあるものにするのに役立つことでしょう。


私は慎重に考えた末に「より思いやりのある」という言葉を使いました。長年の慎重な熟考の末に、と言っていいかもしれません。とてもたくさんあるというわけではありませんが、逆境の喜びのうち、すべての中で一番貴重で、一番うれしいものは、思いやりの価値に関して学んだ教訓だと、私にはわかっています(→逆境には喜びはそんなに多くはないのですが、逆境の中で私が見つけた一番大きな喜びは、思いやりの価値について学んだことです)。小さな思いやりから大きな思いやりまで、私が受けた思いやりはどれも、この世界には十分すぎる思いやりは決して存在しない、と私に確信させてくれました。思いやりを持つということは、他の方々が希望し、必要とするものに対して思いやりと人間の暖かさで応えることです。ほんの少しでも思いやりに触れることができれば、重苦しい気持ちは和ぐ可能性があります。思いやりは、人の人生を変えることもあります。ノルウェーは世界中の難民のみなさんに家庭を提供することで模範的な思いやりを示してきています。生まれ育った場所での安全と自由をつなぎとめるものから切り離されてしまった人たちに、ノルウェーは聖域を提供しています。


難民は世界の至る所にいます。最近、タイのメラ難民キャンプにいたとき(→を訪れた際に)、収容されている方々の暮らしをできるだけ困難がないようにするために毎日努力している熱心な人たちにお会いました。この方たちは、「援助疲れ」に対する懸念について話されました。「思いやり疲れ」とも言い換えられるものでした。「援助疲れ」は、(提供される)資金の減少という(わかりやすい)形でまさに表れます。「思いやり疲れ」は、もっと目立たない形で関心の減少となって表れます。一方は、他方の結果なのです。思いやり疲れなんかやっている余裕が私たちにあるのでしょうか? 難民の方が必要とするものを満たす(ためにかかる)費用は、まったく目を向けないのではないにしても、難民の方々の苦しみに無関心な眼差しを向けることの結果として生じる費用より大きいのでしょうか? 安全を求めている難民の方たちが必要としているものを満たしてあげられるように、世界中の支援者のみなさんに強く求めます。難民の方にとっては安全を願うことが無駄な努力のように思えてくるにちがいないことが結構あるのです。
 

メラ難民キャンプ以外にもいくつかの難民キャンプがあるターク県の管理を担当するタイの当局者たちと、私はメラ難民キャンプで有益な話し合いを持ちました。タイの責任者たちは、難民キャンプに関連したもっと深刻な問題のうちのいくつかを私に知らせてくれました。林業法違反に、違法な薬物使用に、違法な自家製蒸留酒に、マラリア、結核、デング熱、コレラを予防する問題などです。管理する側が心配するのは、難民の人たちの心配事と同じくらいもっともなものです。難民を受け入れる国々も、受入国の責任に関連した困難に対処する際に、考慮と実際的な支援に値するのです(→受入国の責任に関して起こる問題をうまく処理する際に、思いやりと実際の支援を受けて当然なのです)。


最終的には、私たちの目標は、難民のいない、ホームレスのいない、希望を持てない人たちのいない世界を作ることです。世界の隅から隅までが、そこに暮らす人たちには自由があり、平和に暮らせる(能力があるような)本当の意味での聖域であるような世界を作ることです。良い面と健康的なものを増やしてくれるどんな考えでも、どのような言葉でも、どんな行動でも平和に役立ちます。私たち一人ひとりが、そうした貢献をする力を持っています。安全に眠ることができて(→安心して眠りにつけて)、幸せに目覚められる平和な世界を構築しようとして手を組むことにしましょう。

超鈍足アップ!  Perspective 3 の Optional Lesson 2 のお届けです。何と2週間以上も取り組んでしまいましたが、今でも釈然としない個所があります。流石、文学作品、手ごわいものです。英語学習効率化委員会推奨。最強・最良時短予習お助けサイト。



「生産性の低い英語学習=辞書引き」を抜け出し、真剣に英語に向き合う、本当に力のつく英語学習をスタートするためのお助けサイトです。

学校の先生がお勧めする、30年前に先生たちが実践した、古い英語学習方法は、今の時代には通用しません。体育会系の運動部の顧問の先生が大切にしている、効率の悪い、科学を無視した、精神論的練習方法と同じです。

この1年で英語をある程度ものにするには、学校の授業をフルに活用するしかありません。教科書の予習をするときに、辞書を引く時間を惜しんで、英語を読むことです。声を出し英語を読み、本気になって内容を読み取ろうとすることです。

この練習をお助けするのが当サイトの役目です。あと7か月、シッカリと科学的な英語学習を続けていってください。



Optional Lesson 2


CELLISTS
チェリスト




僕たちが『ゴッドファーザー』のテーマを演奏するのは、昼食後3回目です。ですから、前回『ゴッドファーザー』を演奏したときにも、そこにいたかもしれない観光客が何人くらいいるのか見るために、僕は広場のあちこちに席をとっている観光客を見渡していました。お気に入りの曲を何回か耳にするのは気にならない人はいますが、あまりにも頻繁に同じ曲ばかり演奏するわけにもいかないし、レパートリーが少ないのでは? とみんなが疑い始めてしまいます。1年のうちでこの時期は、同じ曲を繰り返し演奏してもたいていは大丈夫なものです。秋風が立ち始めていますし、コーヒーの値段がとても高くて、お客さんの回転率が結構、安定して高いからです。とにかく、そんなわけで僕は広場のお客さんの顔を確認するのですし、そんなふうにしてティボールをお客さんの中に見つけたのです。


ティボールは腕を振っていました。僕たちに向かって振っているんだと最初、僕は思いました。でも、その後、ティボールはウエイターの注意を引こうとしているんだとわかりました。昔より老け顔になっていて、太ってはいましたが、ティボールだと気づくのは難しくありませんでした。すぐ隣にいたアコーディオンのフェビアンをひじでチョットつついて、ティボールの方に目配せをしました。ちょうどそのとき僕はサックスから両手がはなせなくて、うまくティボールの方を指させなかったからです。ハッと気づいたのは、そのときです――バンドのメンバーを見回してみて、ティボールに僕たちが出会った夏からバンドのメンバーに残っているのは、僕とフェビアンを別にすると誰もいないということに。


そうなんです、もう7年も前のことですから。でも、やはりショックでした。こんなふうにして毎日一緒に演奏していると、バンドは家族のようなものに思えてくるし、他のメンバーたちは兄弟のように感じられてくるものです。時には誰かがバンドを抜けても、連絡はいつだってしてくるだろうと思いたいものです。ベネチアや、ロンドンや、どこに行ったとしても、絵ハガキや、ひょっとすると今、自分が加わっているバンドのポラロイド写真を送ってくるだろうと思いたいものです。故郷の家に手紙を出すのとちょうど同じように。そんなわけで、いろんなことが何て素早く変化するものなのかを思い出させるものとして、こういった瞬間はいやなものです。今日の親友は、明日には知らない人になってしまいます。ヨーロッパの至る所に散らばって、決して訪れることのないような広場やカフェで『ゴッドファーザー』のテーマや『枯葉』を演奏しているのです。


曲が終わると、フェビアンが僕をジロリとにらみつけました。オレの「独壇場」でひじでつつかれ邪魔された、と言いたげでした。正確に言うと(アコーディオンの)ソロのパートではなくて、バイオリンとクラリネットの音がやむという、まれな瞬間の一つでした。僕は背後で静かな音を奏でるだけで、フェビアンはアコーディオンで一緒に同じメロディーを奏でるパートです。僕がティボールの方を指さして、わけを説明しようとしたとき、ちょうどフェビアンはパラソルの下で(→日陰で)コーヒーをかき混ぜながら、ティボールのことを思い出すのに苦労しているようでした。

最後にやっと、「ああ、あいつか、チェロの坊やか。まだ例のアメリカ人女性と一緒なのかなぁ」と言いました。

「そんなことはないよ。覚えてないのかい? あのとき全部終わったじゃないか」と、僕は言いました。

フェビアンは肩をすくめて、視線を楽譜に落として、それから、僕たちは次の曲にかかり始めました。


僕は、フェビアンがもっと興味を示さなくてガッカリしましたが、今思うと、フェビアンは一度も若いチェリストに特別に関心を持ったことがない人物でした。おわかりのように、フェビアンは今までバーやカフェでしか演奏したことがありません。その頃、バンドでバイオリンを担当していたジャンカルロとも、ベース奏者のエルネストとも、フェビアンは違っていました。この2人は正式な音楽教育を受けていましたから、2人にとってはティボールのような人物はいつだって魅力的な存在でした。ひょっとすると、そこには多少の嫉妬があったのかもしれません。ティボールが受けた一流の音楽教育に対しての嫉妬と、ティボールには将来が広がっているという事実に対しての嫉妬心があったのかもしれません。しかし、公平を期して言えば、この世にいるティボールのような有望な若者たちをかばってあげ、少しは面倒を見てあげたくて、将来生じることに対して、もしかしたら準備させてあげたかったのかもしれない、とも思えます。そうすれば、失望することになっても、失望を引き受けるのはそんなにつらいものでもないでしょう(→(失望から)そんなにひどい痛手を受けなくても済むことでしょう)。


7年前、あの夏は普通じゃなく暑い夏で、僕たちのこの街でさえも、僕たちがアドリア海に面しているとみなさんが信じられるときがありました(→7年前のあの夏は異常なくらい暑い夏でした。僕たちのいたこの街でも、アドリア海に面していると実感していただけるほど暑い日が何度もありました)。(訳者注:この部分は難解で、イタリア国内の気候に余程詳しくなっていないと、本当のところはよくわかりません。真逆のことを意味していそうな、「七年前のあの夏は異常なほど暑かった。私たちのいるこの町でさえ、とてもアドリア海に面しているとは思えない暑い日が何日もあった」という訳文が成立する可能性も十分あります。学校の先生にきちんと説明していただきましょう。こういう部分にこそ、教科書の注釈があってほしいものです……学校の先生の説明を、後でMOJOにもコッソリ教えてくださ~い) 広場に向かい、全部のテーブルに向かっているカフェの日よけの下で、僕たちは屋外で4か月以上もの間、演奏しました。周りで扇風機が2・3台回っていても、演奏はとても暑い作業だと言うことができます。しかし、観光にはうってつけの季節でした。地元のイタリアの人たちだけではなく、ドイツやオーストリアからもたくさんの旅行客が立ち寄り、浜辺で暑さから逃れるのでした。しかも、ロシアの人たちに最初に気づき始めたのも7年前のこの夏のことでした。今では、ロシア人観光客がいても、あまり気にはなりません。他の人たちと同じように見えます。しかし、当時は珍しくって、立ち止まって、じろじろ見たりするくらいでした。ロシアの人たちの着ているものはヘンテコで、学校に入りたての子供たちのように動き回っていたものです。僕たちがティボールを最初に見かけたのは、演奏の合間の休憩中のことでした。カフェがいつも僕たちのために用意しておいてくれていた大きなテーブルでくつろいでいるときでした。ティボールは近くに座り、チェロのケースを日陰に置いておくために(→チェロのケースに日が当たらないように)絶えず立ち上がり、ケースの位置を変えていました。


ジャンカルロはこう言いました。「あいつ、見てみろよ。生活に困っているロシアの音楽学校の生徒だな。そんなんだから、何をするって言うんだろう? 中央広場でお金を無駄にコーヒーに使うことにしてるんだ」


エルネストはこう言いました。「間違いなくバカだよ。でも、ロマンチックなおバカさんだな。午後の間ずっと、この広場に座っていられれば、飢え死にしても幸せなんだ」


ティボールはやせていて、砂色の髪で、ダサイメガネをかけていました。フレームが大きくって、パンダのように見えてしまうメガネでした。ティボールは来る日も来る日も広場に現れて、どういうきっかけだか正確には覚えていないけれど、しばらくすると、演奏の合間(の休憩中)には同じテーブルに座り、話をし始めていました。しかも、時には、夕方の演奏中にカフェにやって来ると、演奏が終わった後にティボールを呼んで、ことによるとワインやクロスティーニをおごってあげたりもしたものです。


すぐにティボールはロシア人ではなく、ハンガリー人だとわかりました。見た目よりも多分年をとっているんだろうということもわかりました。ティボールはすでにロンドンの王立音楽院で学んだことがあり、それから2年はウィーンでオレグ・ペトロビッチのもとで過ごしたのですから。この老音楽家に指導を受け始めたときは、つらいこともありましたが、伝説にもなっているほどのこの老大音楽家の癇癪を何とかしのいで、自信に満ちてウィーンを離れました。ヨーロッパのあちこちで小さいながらも権威のある会場で一連のコンサート活動を続けました。しかし、その後、需要が減ってきたために(→お客さんの入りが悪くて)、コンサートはキャンセルされるようになり、ティボールは好きでもない音楽を演奏しなければいけなくなりました。泊まる場所も値が張ったり、あるいは、薄汚かったりしました。


そんなわけで、僕たちの街で十分に準備された(→盛大な)芸術文化祭が開かれ、その年の夏に文化祭にティボールが招待されたのは、気持ちの上で大いに助けになったものでした。しかも、王立音楽院の頃の旧友が運河に近いアパートを夏の間無料で提供してくれるというのですから、何のためらいもなく引き受けました。ティボールは街の生活を楽しみましたが、現金がないのがいつも問題で、時にはリサイタルをするものの、今後の身の振り方をそろそろ真剣に考えなければいけないと、僕たちに話してくれました。


ジャンカルロとエルネストがティボールのために何かしてあげるべきだと決めたのは、こうした心配事を聞いてしばらくしてからのことでした。2人の力で、ティボールはアムステルダムの実業家カウフマン氏と会うことになりました。カウフマン氏はジャンカルロの遠い親戚で、ホテル業界につながりを持っていました。


僕はその夜のことをとてもよく憶えています。まだ初夏で、カウフマン氏、ジャンカルロ、エルネスト、それに僕たちみんなが屋内で、カフェの奥の部屋に座って、ティボールがチェロを弾くのを聴きました。ティボールはカウフマン氏のためのオーディションをやっているんだということは理解していたに違いなくて、だから、その夜は演奏にとても熱心でした。この夜の様子を思い出すと、今でも面白いものです。ティボールは僕たちに明らかに感謝していて、カウフマン氏がアムステルダムに帰ったらティボールのためにできる限りのことはしようと約束したときに、ティボールがうれしそうだったのは誰の目にも明らかでした。この夏、ティボールは人が変わったとか、態度がでかくなったとか、これは全部あのアメリカ人女性のせいだとか、周りの人たちが言ったものですが、まあ、ことによるとそんなに外れてもいなかったのかもしれません。




ティボールはその日、最初のコーヒーをすすっているときに、女性に気がつきました。そのときは広場は快適で涼しいものでした。カフェがある側は午前中はほとんど日陰のままですし、敷石は市の清掃業者の散水のおかげでまだ濡れていました。隣のテーブルでは、その女性がミックスフルーツジュースを(立て続けに)何杯か注文しました。それから、まだ10時にもなっていなかったことからして、どうやら気まぐれに注文したように見えましたが、蒸しムール貝を一皿注文しました。朝から何も食べていなくって、ティボールは注文する女性をうらやましげに眺めていました。女性は女性でコッチをチラチラ気にして見ているという漠然とした印象をティボールは抱きましたが、このことはそんなに深く考えませんでした。


そのときティボールは僕たちにこう言いました。「あの女性、とっても感じがよくって、その上、きれいだよね。でも、見てわかるように、僕より10か15は年上みたいだから、僕と彼女の間で何かがありそうだなんて、これっぽっちも思えないよ」


ティボールは女性のことは忘れて、部屋に帰る準備をしていました。アパートの隣の部屋の人が昼食に戻ってきて、(あの小うるさい)ラジオをつける前に、2時間は練習できそうでした。すると突然、目の前に女性が立っていました。


満面の笑みを浮かべながら、女性の仕草の端々にはお互いにすでに知り合いだということを示すものがありました。実際に、ティボールが女性にあいさつをするのを思いとどまったのは、生まれつきの内気さのせい以外の何ものでもありませんでした。そのとき、女性はティボールの肩に手を置きました――まるでティボールが何かのテストに落っこちたけど、とにかく許してあげると言わんばかりの様子でした。女性はこう言いました。

「先日、サンロレンツォでのあなたのリサイタルに、私、いましたのよ」

「それは、どうも」と、ティボールは答えました。超おバカに聞こえるのは十分わかってはいたものの。女性が笑みを投げかけ続けている中、「ええ、そうですね、サンロレンツォ教会ですね。その通りです。確かに教会でリサイタルをしました」と、ティボールは言いました。

女性は声を出して笑って、それから突然、ティボールの目の前のイスに腰かけました。「最近ずっと仕事が立て込んでいるみたいにおっしゃるのね」と、ひやかすような調子の声で言いました。

「もしそんな感じであれば、誤解を招きかねない印象を抱かせてしまったことになります。お越しいただいたリサイタルが、ここ2か月で1度だけのものでした」

「でも、あなたは始められたばかりですもの、とにかく何らかの契約をとってらっしゃるのは素晴らしいことですわ。しかも、先日はとっても大勢の方がいらっしゃってましたわ」と、女性は言いました。

「大勢ですって? たったの24人でしたよ」

「午後でしたからね。午後のリサイタルとしては24人は上出来でしたよ」

「それには不満はありませんが、それでも、決して大勢なんかじゃありませんでした。他に何もすることがない旅行中の人たちでしたから」

「いいえ、そんなに卑下なさるもんじゃありませんわ。何と言っても、私もいたんですから。私もそういった旅行中の一人でしたから」 その瞬間、ティボールの顔が赤くなりました。女性の感情を害するつもりはなかったからです。女性はティボールの腕に触れ、笑顔でこう言いました。「コンサートを始めたばかりですもの。お客さんの人数は気になさらないことよ。お客さんを集めるために演奏なさってるわけじゃありませんでしょ」

「えっ? お客さんのためじゃないとすれば、一体何のために演奏しているんですか?」

「そういうわけじゃなくてよ。私が申し上げているのは、音楽家としての今の段階では聴いてくださる方が20人でも、200人でも関係ないってことなんです。なぜ、関係ないのか申し上げましょうか? だって、あなたはお持ちだからです」

「僕が持ってるって?」

「あなたはお持ちです。絶対です。あなたには可能性がありますわ」


ティボールは思わず出そうになったぞんざいな笑いをこらえました。女性を非難するよりも自分自身を非難したい気持ちの方を強く感じました。「天才」とか、少なくとも「才能がある」くらいのことは女性が言ってくれるだろうと期待していたのですが、すぐにそんな感想を期待していた自分がいかに的外れであったかという考えに襲われたからでした。しかし、女性はこう続けました。

「今の段階で、あなたがなさることは、演奏を聴きに来てくれるピッタリの人が現れるのを待つことですわ。そして、その最適の人が火曜日に、あの部屋に、わずか20人のお客さんの中にいたかもしれないって考えるのはたやすいことでしょう」

「ですから、24人でしたよ。関係者以外にね」

「ええ、24人です。私が言っているのは、人数はこの際、関係ないってことです。大切なのは、その人物なんです」

「レコード会社の人のことをおっしゃってるんですか?」

「レコード会社? いいえ、違います。そんなことは自然にかたがつくでしょう。今、言ってるのは、あなたの才能を開花させてくれる人物のことですわ。あなたの演奏を聴いて、あなたが訓練をシッカリ積んだただの凡庸な演奏家なんかじゃないってわかってくれる人物のことです。まだサナギだけれど、ほんの少し手助けがあれば、チョウになって羽ばたくってわかってもらえる人物のことです」

「わかりました。もしかして、あなたがその人物なんでしょうか?」

「そんな、とんでもありません。あなたがうぬぼれ屋さんだってことはわかります。でも、われ先にとあなたのところにやってくる指導者がそんなにたくさんいるようには思えませんわ。少なくとも、私と同じくらい優秀な指導者は現れないでしょうね」


このとき、大きな間違いをしでかしてる最中だという考えが、ティボールの頭をよぎり、女性の顔立ちをじっくりと見ました。ちょうど女性がサングラスをとってくれたので、基本的には優しそうで親切そうな顔だけれども、ひょっとすると怒りに近いかもしれない動揺も帯びている顔を見ることができました。ティボールはすぐに誰だかわかるだろうと思いながら、女性を見続けたのですが、しまいにはこう言わなくてはならなくなりました。

「すみません。ひょっとして著名な音楽家でいらっしゃるのでしょうか?」

「エロイーズ・マコーマックです」と女性はニッコリしながら言って、手を差し出すのですが、残念なことに、名前を聞いてもティボールには何にも思い出せなくて、どうしようもなく思えました。最初は本能的に驚いたふうを装おうとして、「本当ですか、まったく驚きです」という言葉が、実際に口をついて出てきました。それから、気を静めて、そんな知ったかぶりは不誠実なだけじゃなくて、たちどころにばれてしまい、バツの悪いことになってしまう可能性が高いと気づきました。そんなわけで、ティボールは姿勢を正して、こう言いました。

「マコーマックさん、お会いできて光栄です。あなたには信じられないことでしょうが、僕が若いという点と、僕が鉄のカーテンの向こう側の旧東欧圏で育ったという事実を考慮に入れていただければ幸いです。欧米では(→西側諸国では)聞き慣れた名前の映画スターや政治家であっても、今でも、僕の知らない方がたくさんいらっしゃいます。ですから、あなたがどなたなのか正確には存じ上げていないことをお許しください」

「そうなんですね、これはこれは、感心なくらいに率直ですこと」 この言葉とは裏腹に、女性は明らかに侮辱されたと感じているようですし、女性の豊かな表情ににわかにかげりがさしたようでした。気まずい雰囲気になった後で、ティボールは再び口を開きました。

「有名な音楽家でいらっしゃいますよね?」

女性はうなずいたものの、視線は広場の向こうを漂っていました。

「もう一度、謝らなければいけません。僕のような若輩者のリサイタルにあなたのような方にお越しいただけたなんて、実に光栄なことでした。楽器をおうかがいしてもよろしいでしょうか?」と、ティボールは言いました。

「あなたと同じよ」と、即座に答えました。「チェロです。ですから、リサイタルに行ってみたのです。たとえあなたのような若手の方のこじんまりとしたリサイタルであっても、行きたくなってしまうんです。素通りできないんです。使命感のようなものだと思います」

「使命感ですか?」

「他になんて言えばいいのかわからないわ。チェロ奏者には、みなさん上手に演奏していただきたいんです。美しく演奏していただきたいんです。見当違いの演奏が多すぎますから」

「何ておっしゃいました? そうした見当違いの演奏の責任は僕たちチェリストにだけあるんですか? それとも、音楽家みんなのことをおっしゃってるんですか?」

「もしかすると、他の楽器にも言えることかもしれませんが、私はチェロを演奏する身です。ですから、他のチェリストの演奏を聴いて、何か間違いを耳にすると……そうですね、先日も市立博物館の玄関ホールで若手の音楽家が何人か演奏しているのを見かけました。他の人はただ通り過ぎているだけでしたが、私は立ち止まり、耳をそばだてなければすみませんでした。おわかりのように、演奏している人たちに近づいて行って、一言言うのを押さえるのがやっとでした」

「間違ってたんですか?」

「正確に言うと、間違ってたわけじゃないんですが……その、何にもなかったんですよ。その人たちの演奏には肝心なものがなかったんです。でも、いつものことで、私が期待しすぎてるんです。自分のために設定した水準まで到達してほしいと、みんなに期待すべきじゃないのはわかってるんです。その人たちは音楽学校の生徒にすぎなかったと思いますから」


女性は初めて椅子の背にもたれて、向こうの広場の真ん中にある噴水のそばで、お互いにずぶ濡れになって騒いでいる子供たちをジッと見ました。最後には、ティボールが口を開いて言いました。

「火曜日にもひょっとして、同じ衝動に駆られたんでしょうか? 僕のところまでやってきて、その、一言言いたいという衝動です」

女性は笑顔を見せましたが、その次の瞬間、とても真剣な表情に変わり、こう言いました。「ええ、そうよ。本当に衝動に駆られましたわ。なぜって、あなたの演奏を耳にすると、昔の私の演奏を聴いているようでしたもの。お許しくださいね、私、とっても失礼なこと言っていますよね。でもね、本当は、あなたは今、正しい方向性を見失っていらっしゃるのよ。あなたの演奏を聴いて、正しい道をあなたが見つけるお手伝いができればって、とっても思ったんです。後でじゃなくて、今すぐに」


「申し上げておかなければいけないんですが、僕はオレグ・ペトロビッチ先生に指導していただいたことがあります」 ティボールは感情を押さえてこう言って、女性の反応を待ちました。驚いたことに、ティボールは女性が笑いを抑えようとしているのが見てとれました。


女性はこう言いました。「ペトロビッチねぇ、そうなの。昔ね、ペトロビッチにも音楽家としてまあまあのときがあったわね。ペトロビッチの生徒にとっては、まだかなりの人物のように思えてるに違いないのはわかります。でもね、私たちチェリストのうちの多くにとっては今や、ペトロビッチの考え方にしても、取り組み方全体にしても……」 女性は首を横に振って、両手を広げました。そのとき、ティボールが突然、怒りで何も言えなくなって、ただ女性をジッと見続けていたときに、女性はもう一度、ティボールの腕に手を置いて、言いました。「言いすぎちゃったわ。こんなこと言う権利なんて私にはないわ。あなたを怒らせたくはないのよ」


女性が立ち上がったおかげで、ティボールの怒りが静まりました。ティボールは寛大な性格でしたし、いつまでも誰かに腹を立てているのは性格に合いませんでした。その上、女性がかつての先生に関して今、言ったことには、ティボールは心の奥深くで不快な共感を覚えていたのでした。今まであえて自分自身には明らかにしてこなかった考えを覚えたのでした。ですから、女性を見上げたとき、ティボールの顔には他の何よりも困惑が漂っていました。


女性はこう言いました。「そうね、たぶん今、あなたは私に腹を立てすぎてて、このことについて何にも考えられないわよね。でも、私、よろしければ、お手伝いしたいのよ。このことについてお話したいとご決断なさったら、私、向こうのエクセルシオールに泊まっていますから」


この街一番の大きなホテル・エクセルシオールは、カフェから広場をはさんで反対側に建っています。今、女性はティボールにホテルを指さして、ニコッとして、ホテルに向かって歩き出しました。女性が真ん中にある噴水の近くで、急に向きを変え、ハトをビックリさせ、ティボールに手を振り、それから、歩き続けるのを、ティボールはまだ見続けていました。

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